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玄侑宗久の「『本来の自分』信仰を捨てよう」という朝日新聞のコラムに胸を打たれた

6月12日の朝日新聞、その中の「朝日求人」という求人広告を載せている面にあるお坊さんのコラムが載っていた。
何気なく読んでいたのだが、その考えの“懐の広さ”に感銘を受けた。



タイトルは、「『本来の自分』信仰を捨てよう」というもの。


前半は玄侑さんの職歴。
現在の僧侶・作家に至るまでに経験した様々な職種を経験し、「私」に合った仕事が「本来の自分」と決め付けるのはもったいない、と独自の仕事論を展開。



後半部分の見出しは「若い人はファジーでいい」。
まず僕自身こんな言葉を言われた事はなく、ファジーさを出さない事を求められてきた。


玄侑さんはこう語る。
「若いうちは見聞きしている世界が少ないのですから、別な人や知らないことに向き合ったときにはファジーな対応が正解だと思います。でも最近では、若いほどはっきり自分をアピールしがちだし、分かりやすい夢や目標を掲げるべきだと追い込まれている。とりあえず自分のキャラを立てることにエネルギーを使う様子は、本来若い人には不似合いで可哀想な状況です。」


確かに「はっきりとした自分」を持ち、目標やらビジョンという言葉をまくし立てるように言われる。
「はっきり」が正解だと思っていた自分には衝撃的であり、同時に肩の力が抜ける言葉でもあった。


玄侑さんは続ける。
「通信機器が発達して、メールなどで来る日も来る日も『自分はこういう人間なんだ』と輪郭を確認するのは、実はつらいことです。あいまいな『私』ではなく、はっきりとした『本来の私』にならなければと焦るから息苦しくなる。そんな必要は全くなく、今ある自分は十分に私らしいと思っていいのです。」


めまぐるしく変わっていく情報を目で追っていく現代社会では、年齢に関係なくこういう“余裕のある”考え方を持つのは難しい。
また社会からは若い人を育てようという気概も感じられず、“寛容に接する”などもってのほかといったところだ。


甘やかすためではない“寛容さ”を持つ大人。
玄侑さんのコラムからはそういった人物像が垣間見える。
僕もそういう大人になりたいと思う。








◆玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)
僧侶・作家。1956年福島県三春町生まれ。慶応義塾大学中国文学科卒業。さまざまな仕事を経験したのち、凶と・天竜寺専門道場に入門。現在、臨済宗妙心寺派福聚寺住職。2001年に小説「中陰の花」で第125回芥川賞受賞。4月から政府の「東日本大震災復興構想会議」委員を務める。


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